髙桒敬和(1988年卒・富山県)
1960年1月号の『真宗(東本願寺教団の官報)』には、特集講話「仏法僧」として、仲野良俊氏により「僧」について、「問題としては現代において、特に僧宝というものが大切に感ぜられる。それは時代社会というものであろう。というのは仏法だけでは具体的にならないということがある。仏法が僧伽になるところに、歴史的な現実に結びついて来るのではなかろうか。(中略)今日僧というと、一つの職業と考えられているが、これは本来の意義を知らぬ社会からの誤解であって、他からの誤解は止むを得ぬとしても、自ら誤解してはならぬであろう。僧というのはサンガ、僧伽を略して僧といってある。今の言葉でいうなら教団、更に新しく表現するならば教法社会ということであろう。僧伽は大衆であり個人ではない。一人で僧とは言わぬ。しかしその大衆は単なる群衆でなく、一つの組織大衆、仏法を原理として組織された人間の集団である」と、記されています。
私が大谷専修学院に在籍していた時は、ちょうど年号が昭和から平成に変わったころです。大学を卒業して、すぐに専修学院に入りました。
そのとき、私たちの班担をしてくださったのは、溪内弘惠さん。北陸の冷たい長雨がやみ、太陽の温かさを感じはじめた、2017年の春に、溪内さんは亡くなりました。
溪内さんは、私がはじめて出あった“大人(おとな)”でした。それまでに出あった年上の方は、親であったり先生であったりと、どことなくよそよそしさ、距離を感じる間柄でした。しかし溪内さんは、寮での生活、夜の考究・座談、遊びなどの全てにおいて、私にとっては初めて真正面に対座する“大人”でありました。
大学を卒業したばかりで威切(いき)っている私に対して、「お前は、極楽トンボや」。「極楽トンボってのはな、自分のことさえ良くて、苦しんでいる周りの人をほっといて、スイスイ飛んでいくんや」と、私の在りようを指摘してくださいました。
専修学院で私は、溪内さんをはじめ、多くの方に出あうことができました。私にとって学院は、人間に出あえた場であり、仏法に出遇(であ)えた場であります。
人間に出あい、その出あった人間を通して仏法に出遇っていく。仏法が、この現代社会に具体的になっていく。そんなサンガを形成していくはたらきが、大谷専修学院に在ることを強く感じます。受け伝えていかなければならない、大切な場であります。