能登半島地震 青草びとからの報告(2024年3月発表分)
※『青草』244号(2024/3月)に掲載されたものを再掲載いたします。
2024年1月1日、能登半島地震が発生しました。今号の発送時点で地震から2カ月が経ちますが、復興の道のりは長い長いものになりそうです。
多くの青草びとが被災しました。今号ではそれぞれの現実や支援の取り組みを報告していただきました。これからも継続して報告をしていきたいと思います。もし可能な方は感想でも報告でも何でも良いので文章を寄せていただけたらありがたいです。
《補足》
2022年6月の能登での地震(珠洲市で最大震度6弱)以来、『青草』に継続して地震後の状況を報告してくださった山形宗立さん(珠洲市)から、今回の能登半島地震が起きた1月1日から毎日記録してくださった「震災日記」が届きました。被災した大変な状況の中で、『青草』への地震報告を頭の片隅に置いていてくださり、誠にありがたい思いでした。
山形さんの許可をいただき、本紙面にて報告いたします。山形さんからは「日記は送りますが、お恥ずかしい内容です。うちは被災ほとんどしていないと言ってもいいほどなので、全て失われてしまった方もおられる中、何かを伝えられるかといえば、中途半端で心苦しさがあります」と複雑な胸の内を教えていただきました。被災された方にはさまざまな状況な方がおられる中で、そのうちたったお一人の日記ではありますが、能登の人たちの心を少しでも感じられたらとここに紹介させていただきます。
震災日記
山形宗立(1991年入学、珠洲市・教忍寺)
【1月1日(月)】
修正会を終えて、午後4時、大きな地震に見舞われる。最初に震度5程度のいつも来るほどの揺れの地震があって、「まあ、たいしたことないな」と思っていたその数秒後、かつてないほどの大きな揺れが襲ってきた。冷蔵庫や戸棚、引き出しが全て開いて、中の物が落ちてきた。鍵が開いて、窓も開いてしまった。体感は2~30秒程度の揺れ。少し収まったら息子たちはテーブルの下に避難していて、妻は2階の階段から這いつくばりながら降りてきた。揺れは小刻みに続いて何回も何回も続いた。棚の荷物が散乱していて、窓から外に出た。我が寺の被害は屋根の棟の倒壊と家財道具の散乱。あの揺れ方でこの程度なら良い方かなと思いましたが、他の被害はただごとじゃ済まないと予感させられました。
鳴り響く防災無線、次の心配は津波。うちは比較的高台なので、何人か避難して坂を上がって来られ、それぞれの安全を確認しあった。結果的に津波は来なかったが、他の地区では4~5メートルの津波に襲われた。停電しているので、携帯電話の電波の弱い家からでは外の情報が全くわからず、不安は高まった。余震が続く中、何人か車で避難されている家族がおられた。夜になると、寒さが一層厳しくなってきた。車で高台に避難してきている方が多く、高台の農道は車が50台くらい並んでいた。そのまま車中泊される感じでした。
電気がないのでろうそくを灯し、石油ストーブを1室に集めてきて、緊急避難所になった。外の車におられる方に、家にあったお菓子やお茶などを配り、「中に来てもらっても良いしトイレも使ってください」とお話してきました。余震の続く中、不安な夜は明けて、少し遠くまで様子を見に行ってみると、この地震の被害の大きさに愕然しました。
【2日(火)】
近所の被害状況を確認。近所の情報で、どうも橋桁が浮き上がって通行できないところ、陥没して通れないところ、家が倒壊して通れないところがあり、整理して考えると、うちの集落は孤立してしまったようでした。
とりあえず何かしなければと、雨水のタンクからトイレ用に水の確保。ガスコンロがあったので料理は出来た。電話はとりあえず通話がやっとできるレベル。充電は車から。ガソリンはあったけど節約しなければということで必要最低限の用事だけ。移動は自転車で。家の片付けと、天気が良かったので倒壊した屋根の棟の仮修理を。寺に避難されていた方たちも、それぞれ家に帰られた。
【3日(水)】
義理の父が透析患者なので、病院に問い合わせ。病院内部も電源喪失や水道が来ないので混乱している模様。夕方、自衛隊ヘリにて金沢の病院に移送して透析を受けるということに。
飯田方面に行くと被害の深刻さが分かってきました。倒壊した家々、倒れた電柱、寸断された道路、車庫ごと潰された車。義理の父を夕方、病院まで送りましたが、結局一晩を病院で過ごして翌朝金沢に行ったと、後で報告がありました。
【4日(木)】
LINEやSNSでわかったのは、鵜飼(うかい)方面や寺家(じけ)方面に大きい津波があって甚大な被害があったとのこと。知り合いの方のご無事を祈った。集落が孤立していた状況も徐々に改善され、道が通れるように。しかしまだまだ道の断裂は酷く、車で走るには注意しないと陥没に落ちてしまいそう。ガソリンスタンドが大変な混雑で、購入するのに一苦労という情報あり。近所のスタンドから運良く購入出来た。
近隣の住職から連絡があって、「自坊が倒壊して、自身も被災して3時間閉じ込められ、レスキューに助けられ、足を骨折していて、金沢の病院に入院された」とのこと。「ご門徒の中陰の七日参りをしてほしい」と依頼されるも、正直こんな時に出来るかな?と心配になった。
【5日(金)】
帰省していた息子2人に、それぞれ学校(編者注:能登ではない)に帰ってもらった。金沢までの所要時間は8時間とか12時間とかさまざまな情報があったけど、雪も心配なので早めに帰ってもらった。
昨日、岩垣さん(編者注:岩垣秀一さん、1988年入学、珠洲市)と連絡がとれて、屋根の修理をしてほしいとのことで、準備して、行く。大きな倒壊はないけれど、大きく瓦が外れていたので雨漏りがひどかった様子。お互い元気そうだったので安堵した。松下春樹さん(編者注:1983年入学、珠洲市)や他の寺院の方が酷いという情報をいろいろ教えてもらいました。
寺家(じけ)地区に七日参りの打ち合わせに視察に行く。津波の被害は思ったより遥かに酷く、家に車や船が突き刺さっていたり、波の力で1階が筒抜けになっていたり、激しく倒壊した家、砂やゴミだらけになって断裂した道路などが痛々しい。
七日参りの方は、1家族はこっちでお骨を預かることに。もう1家族は実家(能登外)に帰省中で、帰られなくなったとのこと。仏事は厳しい感じです。葬儀も火葬場が壊れてしまって火葬できずに、葬儀屋さんのホールにご遺体を安置されておられるそう。火葬は隣町か金沢まで移送されるとのことで、大変な事態になりました。
【6日(土)】
七日参りを自坊にて行う。喪主の妹さんが家を管理されておられて、今日は仕事で来られないので、すいません。とのこと。
【7日(日)】
電気が通電した。近くの避難所に電源車が来て、近所だけ通電した。明るくなって行動の幅が増えた。携帯の電池も気にしなくてよくなった。しかし、まだ電気が来ていない地域もあるので喜べないなあと。避難所から「パンの賞味期限が切れる前に自宅避難の方にパンと水を配ってくれ」と言われて、手伝う。
【8日(月)】
避難所でいろいろ物資の整理などの手伝いを。隣近所で持ち寄ったり分け合ったり、井戸水を使われている方もおられるので、いろいろ共有させてもらった。嬉しかった。日ごろはしゃべらないご家族や近所の方、見ず知らずの方まで、歩いていたら声を掛け合ったりする。地震後はよく人と話す。
知り合いの往還寺さんが行方不明だったけれど、連絡がついた。七日参りに行って道を塞がれ帰れなくなったとのこと。本堂は倒壊したそうです。
【9日(火)】
父(編者注:実父)を病院に。泌尿器科の先生が七尾の先生なので、居ないので診察できないそう。
【10日(水)】
父の病院内科へ。薬だけもらう。帰りに避難所にいる往還寺さんをお見舞い。五条袈裟を貸してくれと言われました。奥様はショックで声が出なくなった。
【11日(木)】
整理していたら落慶法要の記念数珠が出てきた。200個近く。近隣の葬儀屋さんに持っていき「家が倒壊した方、私物の数珠をなくされた方にどうぞ上げてください」と寄付。屋根にシートを貼るボランティアをする。息子次男が福井からいろいろ物資を届けてくれた。
【12日(金)】
次男帰宅。午後からケーブルテレビのインターネットが開通。どうやって繋がっているのかは不明。でも助かる。
【13日(土)】
介護職をしておられる喪主の長女の方が、七日参りに仕事の休みをとって寺に来られた。介護施設は、職員の方が辞めて金沢に避難されたり、避難所から職場まで来られなかったりして、慢性的に職員不足になっている様子。どうすればいいのか?
【14日(日)】
能登教務所長さんがお見舞い視察に来られた。能登教務所は無事とのこと。教忍寺を10組(編者注:能登教区)の支援物資配達の拠点にさせてほしいとのことでした。大谷広永寺さんの住職さんは行方不明と聞きました。
【15日(月)】
口の周りに炎症が出来たので、妻の勧めで、赤十字さんが昨日から開いた簡易診療所で診察。予想通り大したことなさそうでした。市の病院が救急だけしか機能していないので、市民には嬉しいこと。
【16日(火)】
外は雪。体調が悪いので、1日中休んでいた。震災ストレスみたいなものに陥ったのか、家族の行動が腹立たしくなって、食事を作らないことにした。炊事場を仕切りたがる母。何もしないで1日中テレビを見て過ごす緊張感のない父。食事に好き嫌いが多い弟。胆管を切って脂っこいものが食べられない母。基本、ご飯は柔らかめしか食べられない父母。もう、食事で何を作っていいかわからないし、もう勝手に作って食べてくださいという感じ。愚痴でした。
【17日(水)】
天気が良かったので近所の屋根の補修作業に出かける。4軒ほどまわったけど、老朽化が酷くて手がつけられない屋根、一部分を直せばなんとかいけそうな屋根、色々あったけどシンプルな屋根ほどメンテナンスや維持が楽で、複雑にすればするほど維持管理のコストがかかります。神社仏閣ほどコストの多くかかる屋根はない、真宗の道場たる建物であるならシンプルでいいのだと再確認した。
【18日(木)】
天気も悪かったので家に居た。金沢へ既に避難している義理の父から「市役所へ罹災証明の手続きをしてほしい」と頼まれる。手続きは簡単に済みました。担当者は丁寧に対応してくださり、他県の職員さんでした。遠方まで手伝いに来てくれてありがたいことだなあと感じました。
【19日(金)】
午前中、自衛隊給水車の給水を避難所で待つ。避難所も能登以外への2次避難が進んでいる。100名近くいた避難者も、いまは20名程度とのこと。自宅に戻られた方もおり、余震で家の倒壊に巻き込まれることが危惧される。
午後から久しぶりに職人の友人から「瓦のシートかけを手伝ってくれ」と連絡が来て、行くことに。少し町の方の仕事だったので情報収集も兼ねて。一人で籠もっているよりも誰かと情報共有(開いている店や、お風呂の話など)しているほうが落ち着きます。
夕方、16日に亡くなられた地元の方のお骨を預かることになっていた。葬儀もなく、金沢で火葬、そのまま珠洲へ。身寄りのない方なので、甥の方が来られた。中陰の7日ごとのお参りはできないが、四十九日のおつとめ(編者注:満中陰、忌明け)は近親者でされるとのこと。あまり無理に仏事は強要できないので「できる限りご親族で相談されて、納骨までなんとかしてほしい」という旨をお伝えして、簡単にお参りして帰っていただいた。仏事が簡略化される流れは加速していきそうです。
【20日(土)】
七日参りの方が午前中に来られた。中陰の歴史とか意義の説明、雑談を交えながらおつとめしました。来週は四十九日ですが、近親者で簡単に。「納骨はお墓も倒壊しているだろうし未定です」とのこと。本堂の阿弥陀さんの前でおつとめしながら、惨憺たる日々の中、少しだけ日常が戻ってきたような和やかな気持ちになりました。
【21日(日)】
能登教務所から主事さんが、10組(能登教区)の救援物資を届けてくれるとのこと。ブルーシート13枚と、水2リットルを24本いただきました。近隣寺院に連絡したところブルーシートが意外と必要らしく、すぐになくなってしまい、少し遠方の方に連絡出来ませんでした。ブルーシートの用途は、▽雨漏りの本堂の中に敷く▽壁に空いた穴を塞ぐ▽瓦にかける、などの模様。昔は地域全体でちょっとした大工作業や補修作業ができる方がおられたが、少子高齢化、職人不足もあいまって、資材があっても何も出来ないという事態に陥っていると感じました。
【22日(月)】
近所の井戸水を貰いに行く。自衛隊の給水も、限界が来たのか近所の池の水を簡易浄水しているという話を聞いた。近所の井戸水も煮沸すればなんとかいけると思いました。
その後、延び延びにしていた家の浄化槽(編者注:汚水処理設備)の点検を。蓋を開けてみたけど、仕組みがわからないので近所の工事経験者の先輩に来てもらって、壊れていないか確認してもらう。断裂はないが浄化槽が少し浮き上がっているようなので怪しい感じ。しかし、下水道を繋げた家から見れば幾分マシかもです。町の下水道はおそらく道路の状態から、断裂してめちゃくちゃになっていると思われます。
【23日(火)】
妻が務める郵便局に社員が集まっているとのことで、職場まで送ることになった。「トイレと水のない職場では働きたくない」と言っていた妻も、帰ってくると「近日中に仮設トイレが設置されて郵便局も稼働する」と言う。郵便物は局留めにして、お客さんには取りに来てもらうのだと。明治時代に戻った感じ。勤務時間も午前9時から午後3時と時短で、皮肉にも上手く働き方改革が達成されたようです。既に金沢や他県に避難された方もおられるようで、今後、能登の企業の職場では慢性的な人手不足が予想されるかもしれない。
午後から、急に車の車検に宇ノ気(編者注:石川県かほく市)まで行くことに。近所では車屋さんが稼働していないので、以前購入した車屋に聞いてみて急遽車検することになった。雪が酷かったが、なんとかたどり着き、そのまま次男のいる福井に泊まることに。
(終わり)※ここまで送っていただきました。
現地に行って、やるべきことや課題を一緒に見つけたい
結柴依子(2005年入学、秋田県・浄専寺)
1月6日に秋田を出発し、8日に秋田に帰りました。能登に入ったのは7日です。カンパなどご支援くださった方々、本当にありがとうございました。
今回は、親友の畠山浄さん(編者注:石川県七尾市・常福寺住職)から、「遠方の人たちに炊き出しに来てほしい」という呼びかけを受け、それは自分にかけられた声と受け止め、三陸に10年通って炊き出しをしてきた須田さん(編者注:須田俊孝さん、1994年入学、秋田県・源通寺)に「一緒に行ってほしい」と頼みました。須田さんも既に行く準備をしていました(笑)。
道路状況による地元の方々への負担など、いろいろ懸念がある中の強行ではありましたが、運良く、スムーズに現地(七尾市)に入ることができて、ただただ今は安堵しています。昔よく遊びに行った七尾市内も建物の崩壊が見られ、本当にすごい地震だったんだと改めて感じました。一番大変だと思ったのは断水です。トイレは本当に大変だと思います。入浴も洗濯もできません。下着とか替えのものは必要ないのか聞いてくれば良かったなと後悔。避難所でも井戸から水を汲んでトラックで何回も往復し、トイレ用に貯蔵している姿を見ましたが、一日でタンクは空になってしまうとか。途方もない作業をみんなで力を合わせてやっておられました。水道の復旧までの予想時間を尋ねると「水が使えるようになるまで1カ月以上はかかるやろうな」と。1カ月もなんて大変なことです。(編者注:1月24日時点で、七尾市の断水復旧は4月までかかると行政の発表がありました。国会審議でも「なるべく早く」と悲痛な声が出ていました)
今回は、200人くらい入っておられる避難所で炊き出しをさせていただきました。須田さんが「調理場所もないだろうから、今回はレトルトカレーとパックご飯でやろう」と言いました。万が一、炊き出しができなくなっても、レトルトなら物資として配ってこられるからです。なるほどなと思いました。
避難所の方々はとにかく温かいものが嬉しいようでした。地震が起きてまだ一週間くらいの時期でしたので、どこの避難所でも炊き出しはこれからのようでした。私たちがお世話になった避難所の方も「こんなん(炊き出し)は、はじめてや。昨日まではずっと物が届くことが中心だった。これからはこういうのができるようになるんかな。嬉しいな」と言っておられました。避難所のお母さんたちが盛り付けや配膳をやってくださり、大変助かりました。みんなで協力しながら生活しておられました。
旧奥羽教区で購入し、三陸で使ってきた、大鍋「まかないくん」を畠山さんのお寺(七尾市・常福寺)に置いてきたので、現地の人たちが少し落ち着いたらいろんなところに炊き出しに行けると思います。そこに東北から応援にいくという形で関わっていけたら良いかなと思っています。
ペットを飼っている人たちが避難所の廊下で生活しているのに、切なくなりました。鳴いたり吠えたりするので、みんなと一緒の広いスペースでは生活できないのだそうです。廊下のソファで寝泊まりしているので、非常に疲れた顔をしていました。「ペット社会と災害」ということも考えていかねばなりませんね。
今回、私と能登に行ってくださった方は60代と70代のおじ(い)さんたちです。13年前の東日本大震災の時はまだ40代50代だった人もだいぶ歳を重ねました。知識や経験は豊富でも、正直身体はしんどかったはずです。
私の年代やもっと下の若い人たちが一緒に動いてくれたらなと思います。家庭や仕事、いろいろあると思いますが、災害はいつ自分のところに来るか分かりません。現地に行って、やるべきことや課題を一緒に見つけたい、そんなことを切に感じた3日間でした。また状況を見ながら活動していきます。
被災地の皆様、基金にカンパしてくださった方々、心配してくださった方々、本当にありがとうございました。
災害支援北陸門徒ネット
藤共生(2014年入学、福井県、青草びとの会事務局)
北陸3県の真宗大谷派の先輩方が集まり、1月10日、「災害支援北陸門徒ネット」を立ち上げました。支援金を集め、炊き出しなどの活動を行うグループに助成を行うネットワークです。有志の活動のため、機動的に動けるところが特徴です。私も事務局員として参加しており、金子光洋さん(2007年入学、新潟県)、藤場俊基さん(1982年入学、石川県)ら多くの青草びとが、呼びかけ人、賛同人として加わって下さっています。
2011年の東日本大震災の際には、仙台教区仏教青年会がお風呂設備を避難所に持ち込み、入浴してもらう「仏青お風呂プロジェクト(BOP)」に取り組まれました。そして今回の能登半島地震でも、その入浴機材を持参して輪島市でお風呂プロジェクトを実施してくれました。
このように大規模ではなくても、顔の見える活動を今後、さまざまな大谷派の有志グループが取り組んでいくことになると思います。そのような人たちを資金面や高額機材の調達などでバックアップできないかと思い立ち、北陸門徒ネットは立ち上がりました。またほかの地域で災害が起きた際には、その災害に対しても取り組みを継続していきたいと考えています。有縁の皆さま、ご支援ご協力をお願い致します。
【ゆうちょ銀行 振替口座】
口座名義 サイガイシエンホクリクモントネット
記号-番号 00780 – 2 – 76784
※できるだけこちらの口座をご利用ください
【他の銀行から振込される場合】
店名 三三八 店(サンサンハチ店)
店番 338
普通預金口座番号 1437691
他銀行からの振込は、確認のため、お名前(教区・寺号)・金額をメールしてください
ssh.montonet@gmail.com
◎災害支援北陸門徒ネット助成金申請について
本会は、 被災地における支援活動に必要な経費を主な助成の対象とする。
A:活動の度に必要となる消費・消耗する物品の費用、及び交通費
1.北陸三県外から自動車移動:1グループ1活動につき1台分の往復高速料金・燃料費の実費の半額(ただし上限3万円まで)
2.炊き出しの食材・調味料等の購入費(対象人数を記す)
3.食器、箸、スプーン、ゴミ袋、ラップ等の消耗品購入費
4.燃料費( LP ガス、薪、ガソリン、灯油等)
5.その他、希望する助成対象がある場合は、事前に事務局にお問い合わせてください。
6.助成金を申請する手順
(1)申請内容の明細一覧書及びその領収書
(2)実施した活動の報告書と写真数枚
報告書の内容:実施日時、場所、規模(対象人数等)、活動内容、評価(良かった点、反省点)、参加者の感想・要望 その他
B:5万円未満耐久資材の購入
1.購入後、物品の名称を記した一覧計算書に領収書(コピー、写真可)
C:高額の耐久資材の購入(車、炊き出し機材、倉庫等)
※5万円以上の資材の購入とその運用についてはその都度運営委員会で協議する
1.原則として購入前に申請する
2.事前に相談・問い合わせの上、見積書または概算額を記して、事務局に連絡する
◆助成を受けて購入した資材には「災害支援北陸門徒ネット」の助成を受けていることを表示する
◆申請額を満額を助成できない場合がありますので、あらかじめご了承ください
◆各項の助成要件は、状況の変化により改定する場合があります