佐野明弘学院長インタビュー(2024年3月発表分)
※『青草』244号(2024/3月)に掲載されたものを再掲載いたします。
■佐野明弘学院長へインタビュー
新院長の就任にあたって青草びとの会で2023年9月1日に佐野明弘学院長にインタビューを行いました。今号ではその内容をお届けします。
●学院長になる経緯について
質問「新学院長ということが学院の卒業生からすると、突然に出てきた話しで、皆さん、どういうことなのだろうかと非常に驚いていると思いますので、そのことを踏まえていろいろお話を伺わせていただきたいと思っています。たぶん同窓生の中には佐野さんのことをあまり存じ上げない方もいらっしゃると思うので、そこも聞きながら今後の学院はどういう場になっていくのかということもお話しいただけたらということでお時間をいただいた次第でございます。よろしくお願いします。最初に聞きたいのは、いろんな同窓生からもよく問い合わせがあるのですが、どういう経緯で佐野先生が学院長になったのか、その経緯を聞かせていただきたいのですが。」
佐野「私も経緯についてはよく知らないんですよ。一昨年の3月のはじめですが、教育部長が話したいことがあるからと言って。私は「わざわざ来なくても」と話していたんです。原稿か何かの依頼かなと思っていたので。ところがおいでになって言われるには「学院長」と、寝耳に水とはこのことです。「とにかく教育に携わってほしい」と。「狐野院長も、もう2~3年くらい前から辞めたいとお願いをしていて、なんとか続けてもらってきたけども、『限界だ』ということで代わってもらえる人を探しているんだ」ということだったんですね。だけど学院への関わりもずっとなく、そして何のビジョンも考えもなかったので、「お返事できません」と。それで帰っていただいた。
すると今度は狐野学院長と教育部長が来られて、仕事内容などの説明がありまして「どうにかやってもらえないか」と言うことでしたけど、そう言われてもお返事できませんという話しをしていました。そういうことがあるうちに1カ月、2カ月と経っていったんですけども。
ただ、この話のある前、前年ですが「やせたオオカミ」の問題があって、青草びとの会のことでそのときに学院にも来たんです。その時、私は学院で言われている教えに対して問題を提起し、全く違う意見を言っていたのですが、それなのになぜ私に話が来たのかわかりませんでした。それは今もわかりません。ともかく、そういう流れの中で、ずっと思っていたのは自分の「やらない」という考えがほぼ9割、あと1割で迷いました。
1割のところで、学院のことを考えてみたわけです。そうするとまず学院の印象としては、学院は机を並べて授業、授業、授業というところが強かったです。チャイムが鳴って、10分休んで、またチャイムが鳴ってと一方的な形が多かったのでこれは厳しいなと。1年しかないから何かを学ぶというよりも、つまり学んだ内容というよりも、学び方というか学ぶ姿勢というと大袈裟だけれども、生涯聴聞していく人が生まれてほしいというような、机を並べる授業だけではないそういう授業って何かなということを考えて、こんな形はどうだろうと思いついたことを「私はお引き受けするつもりで言っているのではありませんけれども」と、教育部長にそう言ったら、「是非それをやってください」と逆に言われて。そういう話しをしている中で「そういう事であればやってみようかな」という気持ちが3カ月目くらいにやっと少し出てきて。「やるとしたら、こういうこととこういうことをしたいんだけど、どうかな」と言うと、「じゃあ是非それをやってください」という形で。これとこれというのは、外の人も入れて一緒に学習するというかたちと、一方的な授業からもう少し、もちろん座談とかグループ学習とかもあって、それぞれの対話を大事にしている形というものは伝統されてあるので、それをもう少し授業にも、講師が来てくださる授業にも取り入れていけたらと。」
質問「それがアクティブラーニングですか?」
※アクティブラーニング…最初は一人ひとりが用語などを調べ、それからグループで議論や対話をすることで、主体的な学び方を身につける学習方法
佐野「うん、そんな形で授業にもアクティブの要素を少しでも取り入れたいと思いました。それと職員の勉強の時間を確保したいということも言って、部長はそれをやっていってくださいという形でした。狐野院長もご自分は長年やってきていっぱい着込んでしまったので脱げなくなっててねと仰って、そんなやり方があるのは思いもつかなかったとぜひやってくださいということを言われました。本当にいろいろ随分悩みましたが、6月の終わりだったかな、分かりましたと受けることにして。ただ、いっぱいほかの予定を入れてしまっていたので、受けるとなると2年先の予定をキャンセルできるかどうかという問題もありましたけれども。それでとにかくまずは慣れなければならないということで、ちょうど菱木先生がずっと病休しておられたので、7月くらいから授業をひとつ持たせてもらいました。菱木先生は哲学の授業でしたが、私は哲学を教えるような者ではないので「人間学」ということで。」
●アフターコロナの学院作り
佐野「そうやって去年は外から見ていましたが、今度はどうかということでは、アフターコロナということで。今は「5類」に下がったけれども、今年は学院生の中で高齢の方でいろんな持病を抱えている方もいるので、コロナの厳戒態勢もまだ解けない。今回もまた一人出ているんで。やっぱり一人出ると高リスクの人はホテルに避難したりしていたんです、やっぱりどうしても危ないからって。一般の社会は「5類」だけど、医療施設や高齢者施設は厳戒態勢を解けない状態なので、そこくらいをだいたい基準にして。そういった施設がOKになるくらいならここもOKということにしていかないと、中にいるリスクを抱えた高齢者の方を守ることができないので。
そういうことも含めて、学院の募集人数の36人を、元の50人に戻してはと言う意見も有ると思いますが、アフターコロナということはコロナの前に戻るわけにはいかない。コロナによって社会の状態が大きく変化して、人の気持ちも変化して、それから追い詰められていくというか精神的に重たいものを抱えてしまった人もたくさんおられます。だから、一挙に50人に戻すことはやっぱり無理かなと。やはりアフターコロナの感覚を少し持って、新たにやっていくときに、少し班担がケアしていかなければならない人がいるということを踏まえないと。そうすると一気に戻すのは難しいと思っていて、職員たちとも話しているんですが、40人くらいで募集して、職員も12人で続けて、来年様子を見ていく形かなと。」
●院長講義について
質問「1つ目の質問なのですが、先ほどの話と関わるんですが、これまでの学院だと月曜日の院長講義が軸となり、1週間の生活と学びが展開し、1年間それで動いて深まっていく。先ほどアクティブラーニングの話もありましたが、今までとは少し趣が違うというか。どういう変化があったのかなというのを同窓生の方々もいろいろ気にしているんじゃないかなと思います。その新しい形にするのはどういう思い、願いや、具体的にどういう形にしていこうとされているのでしょうか。その辺りを教えてください。」
佐野「全文筆記の院長講義のことですが、私自身これまで教師修練の指導を10何回かやったんですけども。全文筆記の形式で講義することを、実は私自身が出来なかったんです。初めて指導をお受けしたときに講義の原稿を作ろうと一所懸命に考えるんだけど、書けない。とうとう翌日だというのに一行も書けなかった。書いているんですけれども、結局破って捨ててしまう。それで夜中になって明け方になって、とうとう講義の時間になっちゃったんです。それで「実は原稿がないんです」と言ったら、修練生は睨むんです。「何だ、このだらしいない講師は」という目つきで。でも仕方がないから始めたわけです。私もそんなに速く話すほうではないので、話していたら班に一人くらいはノートをとれていて。それでなんとか一週間もったんです。班担の先生にはえらく迷惑をかけたので、もう二度と出来ないし、私には出来ないんだと思って帰ってきたんです。その後も依頼が来ましたので「私は原稿を作れないし、全文筆記の原稿を書けないんですよ」と言ったら、「それでいいから来てください」と。「本当ですか? それなら行ってみようかな」と行ったんです。だから、班担の先生方には非常に不評ですね。でも、その方が学生はこっちを向いてくれているのでとても話しやすいし、表情を見ているので通じやすいのです。一番初めびっくりしたのが、一斉に下を向くので目の前にズラッと全部真っ黒な頭が並ぶわけです、とても異様な光景に見えました。同時に自分は何なのだろうという気持ちになってしまいました。非人間的というか。
そんな修練のこともあって、学院に来たときになんとかその調子で原稿なしで出来ないかなと。原稿ではなくて学院生の顔を見ながら生き生きとしたものを、そのまま何とかゆっくり話すからノートに取ってくれないかなと。全文筆記自体を否定はしないんだけど、こっちはそれでいきたいなと。ちょっとライブ的な、みんなの顔を見て。そういう思いで、そうして実際に4月から始めたら、なんと、最近の学生は字を書いたことないんです、みんな。字を思い出すことも難しい。修練の場合は修練に来るころまでには、学院生も他の人もだいたいレポートを書いたりして少しは字を書くようになった。書かされ、書かされ、レポートを出し、自分の手で書いて出す。慣れてきているから、それで修練の時は書いてくれた。ところが、学院で4月に講義を始めたときに、生徒たちが全然書けていないのが分かって、みんなが書いてくれるのを待ってから話そうとしているうちにだんだんとこちらの話そうとする思考が崩壊してきまして、こっちがもたなくなってきて、もうボロボロになって講義はガラガラっと破綻しまして。後から職員が次々とダメ出しに来てくださって、ちょっとだけでも書くところを作るといいと教えてくれたりして。そりゃあそうだよなと思って。考えてみたら、漢字を思い出すことがものすごく難しい。」
質問「今は、どういう形なんですか?」
佐野「変えてはいないですよ。何とか書くものを作らなきゃいけない。あとは手を休めてくださいと言って、そこだけ。書くところを減らしてだんだん話すところを長くしていったら、今度は『願生』にその講義を掲載するというので、読むとミイラみたいな文章になっていてまたそこでとても困ってます。
3カ月で10キロぐらい体重が減りましたよ。何か大きな病かなと思って。夏休みの間にまた5キロ戻りましたが、2学期が始まったらまた減るのかなと。」
質問「じゃあ、月曜日が近づくと夜眠れないんですかね。」
佐野「こんなに苦痛なことはない。でも全文筆記でないと、寝てしまう人が続出するわけです。その人も置いていかないようにするには、今のところ、あの方法しかないのかなと。それからまた、グループでノートを付き合わせたりすると、そこで聞き合うという人間関係が出来てくる一つの形があるわけです。攻究、ミーティングで、そんなに1回の講義で、私が悩んだ甲斐があるような攻究にはなかなかならないんですが、それでもそれを通して話をするとか、人の話を聞くとか考えるとかいう場所ができるので、これはやっぱり夜とか1週間通して寮生活をしながらやる、そこが最も魅力的な学院の特色だと思います。」
●全寮制はどうしても外せない
佐野「はじめは学院長を頼まれたときに「どう考えるのか」と、いくつか聞かれたんですよ。「じゃあやろうか」となった最後のほうに「寮生活はどうですか。通いの話も出ています」と。「職員を外に住まわせるというのはどう思いますか」とか幾つか聞かれたんだけど、まず私の中では寮というのが一番だと。私の中では学院というのは寮があっての学院だという考えがあるんです。やっぱり通うというのは魅力が無くなってしまうかなというのがあるので、まずは全寮制というのはどうしても外せないところで。寮と通いと両方を言ってくる人もいるが、私はそれはなしということで、やはり全寮制が一番大事にしたいと思っているんですよね。
だから、その寮生活の中で院長講義はどんなものでもいいのかもしれないけど、それをノートに取ってもらって、みんなでそれを話し合う材料にしてもらう。ほかの授業では諸先生が丁寧に教えてくださるので、院長講義は思い切って難しくてもいいやと思って、批判もいただいて。得度もまだの人にする話ですかという意見もあるのですが。講義の動画配信も、どうしてもやめてほしかったんですよ。「手を置いてください」というときに話しかけても、名前を呼ぶことができないし、相手も返事もできないので、今は何とかそういうのを受けるかわりに、授業のすぐ後に質問やら少しやりとりをする時間を「聞思」という時間で設けてもらっているわけです。そんなかたちで補完はしていますけど、とにかく難しいことをバーンとぶつけてみる。「いいんだよ、分からなくたって」と思って。
私だって真宗の話、初めて和田稠先生の話を聞いた時に、何にも分からなかったですよ。最初から最後まで分からなかったです。3日間行ったけど、3日目に目の下にクマが出来るほど分からなかったです。でも、一生懸命に大事なことを話してくれているのだけは伝わっていたんで、一生懸命に大事なことを話すと伝わらないかなと思ってやっているけど、そうなっているかは分かりません。懸命に努力はしています。」
質問「私も同じ経験があって、東京の児連で子どもたちと一緒にお念仏をとなえていこうという活動をしていますけど、ある寺に行った時、その住職さんにお話をしてもらったら、子どもたちにすごい難しい話をするんですよね。「こんな難しい話をして子どもたちに分かるわけないだろう」と。ここの寺に来たのは失敗したと後悔していたんですが、子どもたちは真剣に聞いているんですよ。そのとき、あっと思って。本当のことを言っていれば、子どもたちは理屈で理解したわけではなく、「この人は本当のことを言っている」というのがちゃんと伝わるというのが分かって。自分がいかに子どものことを舐めていたかということをその姿に教えられて。だからそういうのが大事なんだと思い出しました。」
佐野「もちろん分かるようには話そうとは物凄くしていますけど、内容を落とすわけにはいかないなと。」
質問「それだと、舐めていることになりますものね。」
佐野「これくらいなら分かるだろうとか、こういうふうに言えば分かるだろうというのじゃなくて。だから、全文筆記についてはそんな感じですよ。できればもうちょっと速くなれる方法をみつけたい。先輩はよく「S」と書いて、これは「親鸞聖人」の略字だと。漢字の一部だけ書いて飛ばして後から埋めるという方法もありますよとか、2回目に頑張って速く取ってくれよと静かに圧をかけています。2学期から期待しているけど、書くところは、3ページ書けばいいんですよ。」
質問「先ほどの全寮制のことです。同窓生の中ではやっぱり学院とは生活を中心にして、共同生活の中で仏法というのを学んでいくのが基本だと。そのことを佐野さんはどう考えているのか教えてください。共同生活は1、2カ月なら我慢も出来、何とか人間関係も保てるけれど、数カ月経ってくると慣れもあるし、我慢も出来なくなって、色々トラブルや事件が起こってきます。そうするとその事件を通してもう一度、院長講義とかで学んだことが、どう具体化していくか。自分の問題、課題となってあきらかになって深まっていくな、と。それが生活ということであるし、食堂というのもやはり食べるということは、みんな自分の好みが出てくるので、「まずい」「マヨネーズ出せ」と喧嘩になることまである。そういうことが非常に大事だと感じていたので、通いの人と寮生活の人が混ざるというのはあり得ないと。」
佐野「通いと寮を両立するというのはダメですね。半減ではなくて全壊状態。それは大学の寮もそれぞれ意義があるとは思いますけども、ここでは全寮に意味があるので。近くても寮に入ってもらう。職員も労務上、今は大変なんだけど、やはり一緒に寮にいてほしいなと。そうでないと、先ずお朝事が難しくなりますし、夜もいろいろなことで関わるにはやはり全寮制でないと。ただ、ちょっと難しくなってきて、どうしたらいいのか分からないけど。最後には班担だけでも寮に一緒にいられるように守りたいなと。どこまで世間の規則に責められてくるのか分からないけど、営業停止になるかもしれない状態なんだそうです。」
質問「そこを、やはり同窓生の人たちも心配していると思うんですよね。」
佐野「そのへんも主事が中心になってやってくれていますけど。何とか職員を含めて全寮制ということを守りたいなと思っています。」
●レポート面接について
佐野「あと、レポート面接、これが大変でした。私はもう死にそうになっちゃった。一生懸命に感情移入して聞いていると、もうへとへとになっちゃう。このことでも痩せたのではないかと思いました。」
質問「全員のレポート面接を担当したのですか。」
佐野「全員ではなく、今回は割ってもらいました。とてもじゃない、全員担当していたら、死んでます。」
質問「昔は山科、岡崎に学舎が分かれていたので、竹中先生は月火水が山科で木金土は岡崎にいるという感じだから、レポ面も半分は竹中先生がいる。1学期の時に竹中先生がレポ面にいた人は、2学期のときはいないという風に組んでいました。そうしないと、とてもじゃないけどもたないですよね。」
●昔と今の学生の変化
質問「今の学生さんは、我々の時よりもある意味、まじめなのかもしれないですね。」
佐野「今年の人はまじめですよ。去年もまじめだったけどね。」
質問「結局、人数が少ないということは、本当に行こうと思って来ている人が多いということなのでしょうか。」
佐野「そんなことはないけれども、色んな問題を抱えている人が多いですよね。全体的な雰囲気がそうなので。はちゃめちゃにならない感じ。全体的に、それぞれがどうしていいか分からないという雰囲気が強い。時代そのものが、これはこういうもんだみたいなのが通用しない時代に入ってきているのではないか。今までは、ある意味では「これはこういうもんだ」として、「それに合わない人は排除」的なところもあったと思うんですよね。今は居所を自分で作らなきゃならない自己責任の時代に入っているので、まわりの人と同じことをするわけにもいかないし、「こうなるもんや」みたいなのもないし、寺もどうなるのか分からない状態の中で、どっち向いたらいいか、どうしたらいいのかということを一人ひとりが抱え込んで、跡を継がなきゃならないという空気がやっぱり入ってきているんでしょうね。
だから、自分というものが、いのちを生きていることと死んでしまうことが一緒だと考え立ち止まるまでに、今までの世間のこの勢いから止まるまでに、すごく時間がかかっているんです。これは1学期くらいかかったんです。立ち止まる意味はあるのかと。学生には早く僧侶として必要な技術と知識と、それから人に問われたときの返答の仕方を手に入れていきたいという感じがものすごくあります。だから「院長は訳分からない質問や講義をずっとしている」と言われる。しかし、立ち止まって考えるということがもうそろそろ効くのかなと。終わりころにそれが効いてくるのかな。
昨日の始業式でも充実した2学期を送りましょうと言ってこんなお話をしたんですけれど。先日、ご住職をされている友人がお腹の子どもが亡くなった方からお参りをたのまれました。その友人は一晩そのことについて自分もいろいろ何を話そうかどう対応しようかと考え、そして翌日行ってみたら、出生前検診で堕胎していたということだったんですよ。その方の家族は、長男が障害を持っていて、次女は元気な女の子だけど、まだ2人とも小さいですね、小学生だから。もうひとり障害を持った子を抱えきれなかったということがあって。だけど、どうしてもお参りしてほしいという気持ちに、なんといって声をかけたらいいのか全く言葉が出なかったし、暮らしていけないというのがあるんだけど、その子を産まなかった、死なせてしまったということは、同時に今いる障害を持っている子を重荷だと言っているのと一緒ですから、それをこの子が知るとなると、なんと声をかけていいのか分からなかったと。
その友人の話を伝えて、私たちはこうやって集まって教えを聞いて学んでいるのは、こういう時に、うまいこと言える技術とかを学んでいるのではないという話をしました。人間が人間に対して悲しみや何かを感じて向かい合うことが難しい。そこのところは精一杯考えていくしかない。考えれば考えるほど答える言葉がないかもしれないけど、ダメだったで終わらない、もう一つ人間が悲しまれているような悲しみがあって、人間そのものが悲しまれる。「人間の悲しみ」と「悲しみの存在としての人間」の違いをどうか課題にしてほしいと思います、という話を昨日したんですけど。ずっと学んでいく、生涯聴聞してくれる人が生まれてほしいという、そんな感じですね。」
質問「存在自身が大悲されているわけですね。」
佐野「2学期に、言葉に出なくても学びのお互いの班の中のやりとりの中に裏側にそれが反映されていくといいなと。」
●「学院を内側から開く」という新聞記事について
質問「新聞記事(中外日報)に掲載されている「内側から学院が開かれていく」という佐野さんの言葉がよく理解できなかったので、それを聞きたかったのですが。」
佐野「それは、記者が聴き間違えているのです。「内側から開く」のではなく「内に開く」と言いました。内側に開けていく。私たちに何かがあって、それを外に開くのではなく。記者に理解してもらえなかったのです。あれ、なんでこんな文章になっているのかと私は残念でした。」
質問「ああ、よかったです。これは違うだろうと。やっぱり学院というのは閉鎖されているところの良さがあって、閉鎖されて守られているということによって、先ほど言ったように「立ち止まる」ということがやっとそこで許される。世間というのは立ち止まることを許してくれませんから。立ち止まろうとしても後ろから押されて動かざるを得なくて、そこで苦しんでしまう。それが出来なくなったら、引きこもるしかないくらいの世の中です。学院というのは、そういう社会から学生を守るというか、一度立ち止まってみなよと守られている。そこで大事にしているのは、あなたは「真宗精神を体得すべく努力精進」と誓った者でしょうと。だから、あなたはここにいていいだけであって、誓ったからあなたは一緒なんだ。だから今一緒に生きていけるんだと。俺は鼻っからお前のことなんか信用していないし、尊敬もしていないと。だけど、自分と同じようにご本尊の前で「真宗精神を体得すべく」と誓いを立てた者だというところで、一緒に学び、生活をしていこうよと、ずっと繰り返し呼びかけるしかなかったんですよね。」
佐野「今でも「学院は同部屋とかスマホなしが良かった」と言うのは、卒業して良かったと思える人がはじめて言うのであって、入ってくる人にはそれは全く分からない。むしろ先ず入学をそこで断念する人も多いのです。それをどうしていったらいいのか分からない。それからもう一つ、いま現在、社会的にモラトリアム的なことが許されないでしょう。だから今年は、別科生がやっと1人。基本的にここはモラトリアムじゃないですか。もう少し考えていていいよ、立ち止まっていていいよと。だから難しくなっているのはよく分かる。ものすごい勢いで世の中が動いているので、立ち止まることは非常に難しいし、立ち止まるときに居場所というか「何々として生きろ」という形は、はまれる人はいいけど、はまらない人は生きられないくらいつらいことになることが大変。
それから「やせたオオカミ」の問題もあって。この問題の大きな点は、実際には差別の原理に関わることだけれども、その根底に「立っていく」思想とか「歩む」思想というのがあって、ここはやっぱりもう少し考えなきゃいけない時期なのかなと。それが現代の社会でいうと行き過ぎた自己責任論ということと深く結びついているのです。自己責任論というのは「主体的な自己の確立」と同じ人間観に基づいているので、もう一度その人間観を考え直す必要を感じています。親鸞聖人の人間観は、立つとか歩むという思想なのかどうかということをもう一回考えていくべきかなと。」
質問「如来から喚びかけられた自己だから、それで苦悩する自己に還っていける、頷くことが出来る。」
佐野「やっぱり否定的でありながら、否定的なままに頷くことができるというのは人間のはからいを超えているからなんだよね。そういう学びを、丁寧な言葉でしていかなければならない時代に入ってきていて。その意味で宣誓というものも改めて考える必要があるわけでしょう。今お聞きしたので、宣誓文はここでの存在を認めるすごい力があるなと思ったけど。」
●青草びとの会について
質問「「青草びとの会」は、単なる同窓会ではなく同窓生学習会というのを大事にしてきているわけだから、時代が変わったというところから、我々もまた学習をしていかないといけないですね。」
佐野「「真実に生きよう」をテーマにした、夏のスクーリングは良かったよね。「生きよう」も人間の意志に問いかけているので、その意志というと主体的な自由意志ということになるんだけど、それをもう一回考えてみようと。「真実に生きよう」という言葉自身は良いも悪いもない。とにかく一緒に考えてみるという2日間を与えてもらったんだけど、ああいう学習会もどんどんしていきたいね。」
質問「今年のスクーリングは、最初に冊子を輪読して共通認識をしたのは、非常に良かったと思うんです。いきなり、佐野さんの講義を聞いても、座談には展開していかないですよね。」
佐野「私たちが学びの中ですぐ使ってしまう、「問われています」とか「歩みます」とかいう言葉で締めくくってしまうようなものも、いかがなものかと。そこに居場所が入っているような居場所って、本当に居場所かな、とかね。」
質問「そうですね、だから怪しいというところがポイントになるとは思うんですけれども。」
●“安”とはそのものを大事にすること
佐野「答えを出さなくてもいいということは、なかなか出来ない。迷ったままでいることもなかなか出来ない。「安心」という字を「あんじん」と読むときに、心が安らかになるというよりも、安ずるという「安」という字は、物を置く、据えるという意味があるんです。安置するというときの「安」。ずっとそのものを大事にすると。例えば蓮如上人だったら「如来たすけたまえと申すを安心の決定したる行者とは申す」と。「助けてくれ」と言うのは助かってない人しか言わないです。なのになぜ「助けてくれ」という人は安心が決定しているかというと、教えをずっと聞いていく身が定まっている、と。その問題をずっと「助けてくれ」というところで、自分の問題というものを生きて、答えを生きるのではなくて、迷いながら生きていくという、一つのお育ての中に身を頂いていくということがね。」
質問「そういう意味では、安田先生が言う「不安に立つ」というのは、今の人には言葉が通じないということですかね。」
佐野「かっこいいから通じるけど、危ないことになってから立っちゃっても危ない。立てなくて追い込まれる。これで自己責任みたいなことで追い込まれて、倒れる。責任を持って「自分がやっているぞ」というのはごく一部で、ごく一部の人が世の中を動かして。またコロナもあって、追い詰められる人がいる。また自死率が上がってきてしまっているということは、やっぱり立てない人がいるということ。もともと立っていない人は横なんですよ、はじめから。」
質問「横?」
佐野「ヴァージニア・ウルフという作家がNHKの『100分で名著』という番組で取り上げられていて、すごく面白かったんだけど、ウルフは「一般の人はやっぱり立って生きるんだ」と言います。「直立人」だと。「直立」は立って前を向いて生きていく、ということです。ウルフという作家は、スペイン風邪にかかったことがあって、パンデミックのときに生きた人です。スペイン風邪に罹って生死の際をさまよったということがあって、それは「もう立って歩けない、もう倒れた者だ」と。それは「横臥人」、横に伏しているという。「横臥人」という言葉は、「リカンベント」と言っていましたが、私も聞いたことがない言葉だから調べたら、「横」という意味もあるけど、「水平」とか「地平」とかそういう意味もその中に入っていてただ横になっているというのではないのです。例えばそのとき「空を見る」と言うんです。横になった者は空を見る。大地に横になった者は、空を見る。本願の大地によって信心天を見る。「立つ」というのはものすごく近代に要求された思想です。そして立ったものは前を見る。人間が人間であるために、要するに人権とかそういうことを大事にするときに「どこに立つか」と。理性ですよね。ところが今は、いき過ぎた自己責任論などが人間を追い詰めている。「立つ」のが人間なんだろうか。立てない者から見た世界も、人間の大事な世界ではないだろうか。」
質問「そう考えると、横超ということを展開していかなければならないですね。」
佐野「だから立場を得るではなくて、むしろ何かに立たない、義なきということになる。」
質問「浄土のご利益って何かと思ったら、浄土が要らなくなることと頂けるようになって、やっとホッとしたんですね。浄土に立って浄土に向かって、「二河白道」でいったら白道にちゃんと歩んでいって浄土に向かっていかなくちゃダメなんだということで苦しんできたんだけど。浄土がいらなくなって、やっと力が抜けたというか。」
●末法という時代
佐野「いろんなことが大きく課題となって、世界全体も地球環境も行き詰まっているけども、食糧危機も近づいてきて、あらゆることに行き詰まっている中に、私たち自身の人間観も行き詰まっているんですよね。近代になってポストモダンの問題があったけど、それがいよいよあきらかになって、末法到来。」
質問「それで、ますます末法があきらかになっていくわけですから。」
佐野「道綽禅師のいわれるように、末法がどういう時かと言ったら、人間が懺悔するときが来たと。仏の御名を称すべき時が来たと。
親鸞聖人は「粟散片州」だとか、自らが大きいことを威張る人じゃない。大いなる世界を仰ぐ小さな者ということがあります。末法になってまわりが見えなくなってきた。要するに身が小さいというのは、水道の蛇口から排水口までしか水は見えないとか、その水が出ている山が見えない、流れていく海が見えないとかね。そんなように小さくなったりするでしょう。画面で世界中のものを見ているけれども、その画面はせいぜい50センチだとか1メートルだとか。これが世界との距離で「身小」でしょう。「数万歳の有情」は時間が短くなる。もう私たちは2年先、3年先が見えない。それだけちっちゃくなったところに末法がある。自己肥大したように見えるけれども、世界が小さくなっている。」
質問「結局、スマホで世界に繋がっていると誤解していますからね。」
佐野「誤解です。今ここで誰か具合が悪くなったらすぐに対応しますけれども、画面の向こうの人が死んでも対応していないわけです。ひょっとすると寝っ転がったままみたいなことだからね。」
質問「私がYouTubeで聞法会を観たときに、自分の姿にびっくりしたんですよ。YouTubeを見ながら、座椅子に座って先生の話を腕組み足組しながら聞いていたんですよ。その姿に気がついて、こりゃあやばいなと。これは聞法になっていないなと。だから、いかに自分も世界がなくなっているか。聞法しているつもりだけど、あ、これは聞法していないと。びっくりしましたね。」
佐野「だから、山積みも山積み。学院で今までやってきたことは一つの形においてみんなでやっていくので、何が出来るのかとみんなで考えてやっていかなければならない。そんな急にガラガラ変えたって、また流転していくだけだから。そういう課題があるということだけは、学習会などで話し合ってもらったりして学院生にも課題としてときどき提示して。」
質問「「青草びとの会」が佐野先生とこれから接点を持ち一緒に学びを深めて、学生にも繋がっていけたらいいかと、今回お話しを聞いてヒントというか方向性が見えたなという気がします。
私のまわりでも佐野さんが新学院長ということで色々憶測やら噂を聞くんですけど、今回お話しを聞かせていただいて、全寮制が学院の特色の一つだと聞いてすごく安心しました。そして、全文筆記も私も最初、何でこんなことしなあかんのと思っていたんですけど、だんだん最後の方になってきて、親鸞聖人が法然上人のところに話しを聞きに行ったりとか他の人たちといろいろ聞法したりした体験の擬似体験みたいなことなんだろうなと、やっと最後の方で気が付いて、もっとちゃんとやっておいたら良かったなと。最初はもう本当に嫌で嫌でしょうがなかったんですけれども、そういう全文筆記というのも、これからもやって頂けるということですごく安心しました。
卒業した人たちは、学院で仏法に出遇わせてもらった、学院は大事な場だなと思っていて、自分の子どもがもし仏法を継いでくれるなら、好きな大学に行き、好きな仕事をして、でも跡を継いでもいいなとなったら学院に行ったらいいだろうと、学院を勧めようという思いでいるけれども。今回佐野さんが院長になったけど、佐野さんが決して悪いわけではないけど、本当に学院が、自分が学んだような場で在り続けられるのだろうか、大丈夫だろうかという不安の声を、私自身もそうだったんですが、結構いろんなところから聞いたものですから、それを払拭していくというか、払拭とまでは言わないけれども、こういうふうに流れとしてはちゃんと昔からの流れがやっぱり現場にはあるよ、大事にされているよということを少し表現したいと思います。」
佐野「まあどうかな、大谷派もそうだけど流転しますから。あまり幻想を持ってもいけないし、何が大事かを考えていくくらいは、既にもうあるというか続いてきたものがあって、続いてきたものがあって聞いてきた者がいて、学院を卒業してきた人の中でそこで育ってきた人もいて、そういう事実が大きいので、そこで何が大事なのかを考えていく。もう大事なものがあるんだ、という発想ではなくて。
卒業生以外の方が学院に、安居(あんご)に来てもらって、学院が大事だということを知ってもらいたいわけです。」
●学院内で行おうとしている安居について
質問「学院長を受けるにあたって、その条件として安居を是非に開催したいとお聞きしたのですが。」佐野「学院自体が、安居みたいな、修練舎みたいなものでしょう。それで学院の中だけじゃなくて学院の外の人にもここに来てもらい、大谷派教師ということを学んでほしいなというのがあって。外から入ってくると中の人も刺激を受けることもあるので、3日間だけ。教師養成のひとつの新たなかたちを考えたい、と。なんか学院という問題よりも、大谷派の中で学院が占める位置をもう少し高めたいというか、やっぱり非常に大事な場所だということを感じてほしいと。卒業生とのパイプは非常に太いけど、それ以外の人とは全く関わりがないことが多くて。授業も外から聴講に入れるようになっているけど、それをもっと呼びかけて、一緒に学べる場がありますと言って、そういうかたちでこの場所を聞法のメッカにして、教団の中での位置を「あきらかに必要だ」としていきたいなと。」
質問「スクーリングもそういう意味の場ですもんね。」
佐野「だから、学院を知らない人でも来られるスクーリングにしていかなければならない。」
質問「入りにくいですかね。今までも卒業生以外の人もスクーリングには参加はしているんですけど,ちょっと入りにくいですよね。」
佐野「話しているうちに学院の話になっちゃいますからね。」
質問「なっちゃいますからね、自分の時はこうだった、というのが大前提ですからね。」
佐野「修練を受ける人もまず減っているでしょう。もういないんだ、修行する人が。どうしても住職になる人以外は、もう昔みたいに一般の在家から修行に入る人もほとんどいなくなった。同じように、勉強だけしにくるという人もいなくて、今だったらお坊さんになって勉強したらどうだと言うと、幾らもらえるんですかという話になるんです。時代的にそうなったのでしょう。だから、そういう時代の中でこの学院を大事な場所としていくにはどうしたらよいのかと。だから、そういう意味もあって、外の人にももっと知ってもらって、同窓会の縦は強いから、卒業生のこういうのは強いから。こういうことを大事にして、縦も横もやってもらう。だから今回は、試しのプレ安居を12月にするんだけど、教師資格を持っている人で学びの場がほしい人がいたら。」
質問「基本的に今の在院生は参加するのですか。」
佐野「教化学の授業の一環として在院生も全員参加です。今年は、試しに在院生と別枠15人で。基本的に学舎のマックスのトイレの数などを考慮して。在院生の残りの数が入れるんですよ。その数を募集すると、大体20人くらいかな。スタッフ入れて24人。それを毎年同じ人が来るというのではなく、出来るだけ替わってもらって、参加してもらえると。」
質問「12月というと、学びもある程度立ち止まる時間も大勢の人が持てる時期ですよね。」
佐野「色んな人が出会う場所。本山の意味があるとしたら、本山は人が人と出会うということが最大の意味であって、他に意味はあるのかなと。やっぱり、こういう場所も出会いの場所というかね。」
質問「そこは難しいですよね。ある程度の括りと、いろんなところの交流の匙加減というか。」
佐野「そんなに匙加減はしない、その3日間だけだからね。」
質問「だから、期間が区切られているから全てが守られているわけですよ。」
佐野「そうそうそう。」
質問「佐野さんの思いが聞けて、大変よかったです。お忙しいところ本当にありがとうございました。」