大谷専修学院の概要
創立:1924(大正13)年
専修認可:1958(昭和33)年
教職員数:16名(2018年度)
学校の特色:全寮制
資格取得:大谷派教師資格
学院長:佐野 明弘
学院長の言葉
総序の文に「円融至徳の嘉号は悪を転じて徳となす正智」とあります。そのこころを尋ねれば、名号は苦の中にあっても苦の中に苦を転じて頷きうるものを生ぜしめる智慧ということでしょう。どのような状況にあっても人は自分自身に頷くことがあるとそこに居場所をうるものです。人をして頷かしめる智慧。そこに私たちは帰るところに帰った感じを受けるのです。
聖人は全てのものが帰るところを海に喩えられます。川の水が海に注ぎ海水となる喩をもって転をあらわされます。一人ひとりの人生は同じものは一つもなく、一つ一つの川のごとく、長さや幅や曲がり具合や流れる水の質も皆それぞれ違っています。しかし、それらの川がひと度海に帰すれば皆一如のうしおになる。而も「つみをけしうしなわずして善になすなり よろずのみず大海にいりぬればすなわちうしおとなるがごとし」(聖1071)とあるように川の水がなくなって海になるのでなく川の水が海の水になるのです。苦がなくなってしまうのではなく苦が名号になるのです。
南無阿弥陀仏の六字の姿は一切の迷いの衆生、苦悩の群生、苦に沈むものを受け止めた姿であるが故に迷いの衆生の帰するところ即ち名号であり、又、名号に呼び覚まされるが故に苦悩の群生に帰るのです。
ここに二つの帰すところが出てきます。ここを聖人は行巻海釈に「海と言うは久遠より巳来、凡聖所修の雑修雑善の川水を転じ、逆謗闡提恒沙無明の海水」と一回目の転では川としての私たちのあり方が無明に根差していること、すなわち、私たちには無明の海が存在のふるさとに他ならない。しかし、その「無明の海水を転じて本願大悲智慧真実恒沙万徳の大宝海水となる。之を海の如きに喩うるなり」と、もう一度転があります。海が海に転ずるというのは喩としては無理がありますが私たちが帰すべき無明の海のところにこそあるのが名号であり又名号の智慧によって無明の存在であることに頷かしめられる。従って名号もまた功徳宝海として帰すべき所としてあるのです。この海の二義性、これは名号の深義あるいは妙義と言うものであろうと思います。
●学院長プロフィール
1958年静岡県生まれ。
21歳で仏門に入る。
はじめ禅宗に学ぶが35歳で真宗に転派。
現在石川県加賀市光闡坊住持
大谷専修学院の教育方針
「いやしくも、この学院に於いて、先生が生徒を教えるようなことがあってはならない」(信國 淳)
学院の教育は、私たちが新しく仏教徒として立ちあがるために行われるものです。大谷専修学院には、私たちの自他に等しく与えられた実り豊かな人生を、仏の教えに順(した)がって見開かなけえればならないという、一つの願いがあります。
生活に必要な知識や技術を習得するということは、むろん私たちに欠くことのできない大切なことであり、その機会を与えることが、一般には、教育だというふうに考えられがちです。
しかし、ただ知識や技術を習得するだけで、それらを底支えする、広い視野と深い愛情とが培われるのでないならば、私たちはいったいどんな人間になるのでしょうか。
おそらく自分でそれとは気づかないまま、あらゆる面で自我意識の虜(とりこ)になった、憐れな人間になっていくのではないでしょうか。そしてそのような人間として、ただ自我意識の
立場から人生を捉えるだけであるならば、私たちの人生というものも、結局極めて限られた、非常に貧しく、
醜いものになることは免れないでしょう。
仏教はそうした私たちのため、本当の人生というものを、つまり、自他に等しく実り豊かに生きることの
できる、真実の人生を私たちに見開かせる教えです。そして学院における教育は、まさにその教えに
向かって自らを献げようという願いのもとに行われるのです。
そうした願いから大谷専修学院では、「人間が人間を教育できるとする人間中心の教育観によることなく、
真実の働きである人間教育が私たちの帰すべきまことの教育として、自然(じねん)に行われるものでなければ
ならない」とし、その具体相を『呼応(こおう)の教育』と名付け、その願いを実現するためにも、
「教職員と学生とが本尊を中心とした聞法・学習・生活を共にする」共同生活を実施するものです。
教職員・学生といっても、大谷専修学院でのその関係は、阿弥陀如来のもとにお互いに兄弟であることが
望まれます。そういった在り方を「ブラザー・システム」と呼びます。
私たちの共同生活は、そのようなブラザー・システムを根幹とし、その「呼応の教育」が具体化される
ものでなければなりません。
私たちはその中で、仏の教えを通して各自の問題を明らかにし、また心うちとけて悩みを語り合えるまでに、
相互の信頼と友情を深めていきたいのです。
大谷専修学院の沿革
1924(大正13)年4月1日:京都府京都市東山区今熊野にある大谷中学校の敷地内に開校。
1941(昭和16)年:大谷中学校に併設されていた校舎を、下京区高倉六条の地に移し、
「大谷専修学院」と改称。
1958(昭和33)年:学院長として、信國淳先生着任。
《学寮・食堂・教室》という3つの生活を中心に据えた「全寮制」とし、
親鸞聖人の教えを生活の中で学ぶ学院の現在の形を作る。
同年12月10日 学院の機関紙『願生』創刊。
1962(昭和37)年8月4日:親鸞聖人700回御遠忌事業として、真宗大谷派岡崎別院
(左京区岡崎天王町)の境内地に新校舎が完成し、記念式典開催。
1981(昭和61)年4月13日:入学希望者の増加により、真宗大谷派山科別院(山科区竹鼻サイカシ町)
境内地に「山科学舎」完成し、入学式を行う。
この年から「岡崎学舎」「山科学舎」という2つの校舎での体制となる。
2016(平成28)年:岡崎学舎・山科学舎の老朽化等により、岡崎学舎を廃止、取り壊し。
山科学舎を新たに建設し、さらに「呼応の教育」を進める。
「大谷専修学院」:
〒607-8087 京都市山科区竹鼻サイカシ町13-17
電話:075-501-5888